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1999年
| 5月 | 神奈川県で和食の料亭を営む父が突然倒れ意識不明の重体に。 |
| 6月 |
心配ではあったが仕事の為、渡英。帰国後「事態の成り行きによっては海外にでも引っ越すか」と苦し紛れ&現実逃避で妹に発言。この時、父と共に店で働いていた自分以外の家族(母親、弟、妹)には和食調理師という”日本人ならではの技”があることを再認識。実際に海外移住するつもりなどなかったが「自分には日本人として世界に誇れる技が一つも無い!」という事実だけが強く残り、何か”日本人ならではの技”を身につけることを決意。試行錯誤する中、留学経験を持つ高校時代からの唯一の親友マミに電話で相談。「私だったらピアノの調律師か盆栽だね」という一言に異常反応。電話を切った直後にインターネットで検索。外国人が運営する盆栽関連サイトの多さに驚くと同時に、BONSAIがワールドワイドな存在であることを確信。身につけるべき”日本人ならではの技”を盆栽に決定する。翌日、本屋で盆栽雑誌を探し”月刊近代盆栽”を購入。目を通してはみたものの、何処で技術を教えてもらえるのか、さっぱり解らない為、その翌日、京都にある出版元編集部に電話。盆栽を学びたい主旨などを伝えたところ「丁度、来週、編集長が東京に行くので、その時に会って話をしましよう」という運びに。 |
| 7月 | ”月刊近代盆栽”編集長、鎌田氏と上野グリーンクラブにて初対面。ヒョウ柄のキャミソールにサングラスという、盆栽からはかけ離れた風貌をした女子が現れた為、「キミのような子が何故ゆえに盆栽なのか」という質問を編集長から繰り返しされてしまう。「マジメな気持ちで取り組みたい勉強したいんです」と堅い意志を伝え続ける。結果「後日、受け入れてくれる盆栽園が見つかり次第、連絡する」という約束までこぎ着け「ほんなら、今日から自分の樹を1本持ちなさい。がんばるんやぞ」と、編集長に上野グリーンクラブで小さな黒松の苗木を買って頂き、”黒松1号”と命名。盆栽愛好家への第一歩を踏み出す。 |
| 8月 | 神奈川県大和市にある”やまと園”という盆栽園が受け入れてくれることになった、という連絡を受ける。 |